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| ■ 八木節 | 2002.03.12更新 | ||
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「八木節」の概要について、百科事典では以下のように説明されています。 「世界大百科事典・平凡社」 民謡。栃木県足利郡御厨町字八木(現、足利市)から出た名称。江戸時代に例幣使街道にあたってた旧八木宿でおこなわれた盆踊りで、もと越後の「新保広大寺くずし」の口説節が土着したもので、八木宿に近い山辺村堀込(現、足利市)に、通称堀込源太(本名 渡辺源太郎)という馬方の美声がこれをひろめたといわれる。大正の中期以降レコードによって全国的なものとなった。はじめ 樽(たる)を縦にしてその鏡や胴をたたいて篠(しの)笛などを伴奏としたが、後には 大鼓(おおかわ)や鉦(かね)などを加え、にぎやかな陽気なものとなった。なお、群馬県佐波郡玉村町には、古来「横樽音頭」と「縦樽音頭」が盆踊歌としておこなわれ、 ことに縦樽音頭は源太の八木節の影響をうけて、八木節というようになった。なお、現在おこなわれる花笠踊りは明治初年に振り付けられたもの。歌詞は国定忠治や五郎正宗、鈴木主人(もんど)などが有名。その歌い出しは「アアー、さても一座の皆様方よ、わしのようなる三角野郎が、四角四面の櫓(やぐら)の上で、音頭とるとははばかりながら、しばし御免を蒙りまして、何か一言読み上げまする、文句違いや仮名間違いは、平にその儀はお許しなされ、許しなされば文句にかかるオーイサネ」 というのではじまる。 このように八木節ルーツになったのは「新保広大寺くずし」であると考えられております。新保広大寺は、正式名を鶴嶺山新保広大寺といい新潟県十日町市に実在する曹洞宗の寺院です。「新保広大寺節」の発生は明らかではありませんが、寺領をめぐる紛争等が背景になって、寺の和尚と広大寺門前通りにあった豆腐屋の未亡人を題材にした戯れ唄としてつくられたようであります。「新保広大寺節」は瞽女唄として各地に伝わり、江戸時代の五大流行唄の筆頭と言われるほどになり、各地の民謡の発生にも関わるようになりました。「新保広大寺節」は各地に伝わると、元唄がアレンジされたり、その地の歌に唄いやすいところが取り入れられたりと、様々に変化し、「新保広大寺くずし」となります 。江戸時代末、この「新保広大寺くずし」を日光例幣使街道の宿場として栄えた上州新田郡木崎宿へ越後より売られてきた遊女「おさよ又はおゆき」という女達が、望郷にかられ唄い、それが木崎節となり八木節へと変化していったと言われています。また一方、木崎より二つ先の宿場である八木宿でも遊女を中心に唄われていたと言われています。明治末期木崎と足利市を行き来する馬方らによって栃木県足利市に伝えられ、大正の始め、やはり馬方の堀込生まれの堀込源太(本名渡辺源太郎)が節回しなどを工夫し八木節を完成させたと言われています。
(3)歌詞 ・五郎正宗 ・継子三次 |
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